稲垣:作品の中で「手放す」ということが描かれているんですが、ものを手放す勇気は必要だと思いますし、僕もそう生きていきたいなと最近思うんです。どちらかというと手放すのが苦手なんですけど、蓄えることに満足してしまうと、肝心なものが何も残っていなかったりすることもあるなと。
― 稲垣さんは「手放す」のが苦手なタイプなんですね。
稲垣:物理的なものでいうと苦手ですね。身軽にいたいと思いつつ、物が多いです。最近植物にハマっているんですけど、増えすぎちゃって冬の間どうしようかなと。好きという情熱で増やしちゃうんですよね。
それから、単純に部屋の中は整理したいかな。自分の歴史とか、芸能生活でやってきた作品や資料、CD、雑誌が膨大にあって。小説だったり洋服も多いですし、少しずつ身軽にしていきたいですね。
演技の型みたいなものが嫌いな方なので、ありがちな形ではなくナチュラルに。ドキュメンタリーみたいな見え方で、それはすごく面白いです。
特に中村ゆりさんとは2人での長いシーンがあるんですけど、そこはワンカットの長回しで。生きたワンカットというのは俳優としてなかなか経験できないことなので、やりがいがありますし、舞台のようでした。当初はワンカットの予定はなかったんですけど、リハーサルでやってみて面白かったので、8分くらいのはずが、12分くらいのワンカットになって。それが本当に新鮮で、まさにドキュメンタリーのようでした。
実際に試写を観たとき、どこか冷静に観てしまう自分がいるんですが、今回は本当に作品に惹き込まれて、緊張感を持ちながら、映画としてそのシーンを観ることができたんです。そんな体験はあまりなかったので、自画自賛になってしまいますけど、すごいなと。すごい作品だなと思いました。
──今泉作品のファンだったそうですが、実際の現場や監督の印象は?
「仕事柄、映画を観ながら、この作品はどんなふうに作られたんだろうと想像するのが好きなんですが、この現場は今泉作品のイメージそのままでした。みなさん穏やかで、声を荒げる人もなく、粛々と仕事をしていて。監督もいつも現場の中心にいるわけじゃなくただ、猫みたいに現場のすみっこに座っていて『あ、ここにいた』という。不思議な人でした」
──主人公の茂巳については、どんな印象をもちましたか。
「今泉さんの書くセリフのトーンもそうですが、主人公の茂巳が話す言葉は、本当に僕が言いそうなことなんです。例えば『理解なんかされないほうがいいよ。期待に応えないといけないから』もそうですが、このキャラクターに共感するところがたくさんありました。まるで、監督に僕のことを見透かされているみたいで、ちょっと怖かった(笑)。僕も茂巳のように飄々としたところがあって、あまり強く感情に引き摺られたりしないんです。今泉さんの作品が好きなのも、感性に似たものがあるからかもしれません」
──茂巳は、妻の紗江が浮気していることを知りながら、悲しんだり取り乱したりしませんでした。そういった部分は理解できますか。
「この物語は、自分の妻が不倫していてもショックを受けない主人公というのが、ひとつのポイントになっているんですが、考えてみれば、浮気されたら動揺して取り乱すべきという決まりはありませんよね。どう感じるかは人それぞれであって、茂巳のように冷静に考える人がいてもいい。そこも僕が茂巳に共感するところなんですが、冷めてるのか、感情がないのかと言われそうですが、どうなんでしょう(笑)」
──茂巳は今までにない、ユニークな人物像ですよね。
「これは監督の実体験だそうです。でも、きっと共感する人はいるんじゃないかな。僕もその一人です。悲しいときに涙を流さないなんて冷たいとか、好きな人に裏切られてもショックを受けないと愛がないんじゃないかとか、感情を表に出さないからといって、他の人から判断されるのは、違うんじゃないかと思います。それに、白とも黒ともつかない、曖昧な感情の動きが人間の面白さだと思うし、本当に大きなショックを受けたときは何も反応できずに、冷静に見えてしまうなんてこともありますよね」
──お話を聞いていると「不倫」という言葉がもつイメージと違って、現場の雰囲気も作品自体も穏やかですよね。
「そう。この映画を『男女の感情のもつれが〜』と説明すると、すごくドロドロしたメロドラマのように聞こえるけれど、そうじゃない。この作品は、映画だからこそ表現できるものだと思います。文学とも違う、映像だからこそ映し出される人間の感情というか。だから今回、本当に自分が好きな映画に参加することができて、本当に嬉しいんです」

10月28日(金)発売の『GOOD ROCKS!』Vol.115に稲垣吾郎が登場します!
ワイン好きのキャラクターを活かしたドラマ『ソムリエ』を筆頭に、これまで様々なキャラクターを演じてきた。高い評価を受けた『No.9 -不滅の旋律-』も日本でベートーヴェンを演じられるのは稲垣吾郎しかいないと思わせるキャスティングだったし、今年上演したミュージカル『恋のすべて』の小粋な探偵役も稲垣吾郎らしさ溢れる役どころだった。
かと思えば、新境地開拓となった『十三人の刺客』や『半世界』のようにイメージを覆す役 柄にも意欲的に取り組んできた。
「僕のイメージにまったくない役も作品に恵まれればあるけど、それも逆の意味で世の中が持っている僕のイメージを利用していると言える。
見る人はどうしても最初はパブリックイメージありきで見ますからね。この人だから見ようというのは絶対ある。そこはもう有名になれたということなんだと思って、うまく受け入れながらやっていくことが大切だと思います」
妻の不貞に気づきながらも怒りがこみ上げてこない自分に戸惑う茂巳。その恬淡とした物腰は、どこか稲垣本人に重なる。監督の今泉力哉が稲垣のために書き下ろした人物だ。
「自分にぴったりだなと思いましたし、とても演じやすかったです。実際、茂巳みたいな人っていると思うんですよ。感情をあらわにすることが得意ではないとか、そういう自分が好きではないとか。あとは、感情的になっているところを人に見られたくないとか。そういうところはすごくわかるし、今泉監督もきっと僕にそういう一面を感じ取ってくれたから、こういうお話になったのかなと思いました」
稲垣自身も、みだりに感情を出すことをあまり好んではいないという。
「ちょっとしたことの方が出せるかもしれない。あまり喜怒哀楽を溜め込む方ではないので、日々のちょっとした喧嘩とかは普通にしますけど、茂巳のように妻が不倫してとなるとどうだろうな。意外と固まっちゃうかもしれない」
映画の中で稲垣が演じる市川茂巳という役は、何に対しても、誰に対しても距離がある。どこかですべてをあきらめているような男だ。
「僕もそうなんですよね。根本的に人に期待をしないところがある。人に期待しすぎるからいろんなトラブルになるわけで。だから、あんまり期待をしたくないんですけど、そうするとそれはそれで愛がない人間みたいになっちゃうから難しいよね、こういうのは」
だが、人に期待をしないことは、人に深入りしないということに近い。そうやって、価値観が成熟していくほどに、他者との関係性がどんどん希薄になっているような寂しさも同時に湧いてくる。
「その気持ちもわかります。でも、人との距離感ってあってもいいのかなって。一度でもつながり合えた人となら、たとえ物理的に離れたとしても、精神的な距離はずっと近くでいられるというか。一瞬でも心通い合ったなら、その一瞬を永遠のものにできるような気がするんですよね。
ベタベタくっついてることがすべてではない。むしろ一瞬通じ合えたものが生涯続くこともある。自分が今までふれてきた映画や本を振り返ってみても、そういう人とのつながりを描いているものの方に憧れを感じるんですよね。人の絆って、共に過ごした時間とか、会う回数ではないのかなという気がします」
「期待って時に残酷なんじゃないかということは、最近僕も感じるところです。今って、みんな共感を得ようとしすぎている。共感することとで安心したいんでしょうね。たとえば映画の中で志田未来さん演じる有坂ゆきのが『浮気されたのに怒らないのはおかしい』って言いますけど、これも浮気されたら怒るものだというある種の期待があって、その期待を裏切られたから生まれる感情ですよね。
でも本来、人間の感情はもっと自由であっていい。これが常識だというものを決めつけすぎるのも良くない気がするんです」
「それがなかなか手放せないんですよ。ミニマリストみたいなものに憧れがあって。物が少ない中で生きてる方が得られるものも大きいし、身も心も楽になる気がして、断捨離とか実践はしてますけど、なかなかね…(笑)」
そう困ったように苦笑いを浮かべる。度重なる断捨離を経ても捨てられないものと言えば何があるのだろうか。
「やっぱり自分の今までの作品とかCDとかは捨てられないですよね。別に捨てる必要はないんだけど。自分の作品を見返すかといえばそうでもないから、データだけ残して、物は捨てるというのも考えはするんだけど、やっぱりそこは今までやってきた証として残しておきたいというか。単にデータだけ残っても、それだけじゃないしねっていう気持ちがあります」
「あとは人からいただいたものとか。絵とかもそうですし、記念品とかトロフィーとか。もうどうしようもなくて、うちの物置部屋にまとめて全部置いてあります。けど、よく考えたら物置部屋って何だよっていう話じゃないですか。まったく生産性がない(笑)。もはやこの部屋そのものが何十年後かのためのタイムカプセルみたいになっている。
で、結局何にも捨てられないまま、『私はこんなミニマムに暮らしてます』っていう感じのYouTubeを見て、『本当かよ』と言ってる人間です(笑)」
そうクスクスと笑っている吾郎ちゃんの横顔に、謎に包まれたヴェールの向こう側が少し見えた気がしてうれしくなる。生活感がないのに、親近感がある。稲垣吾郎はやっぱり不思議な存在だ。
稲垣「茂巳は妻が不倫をしていても、あまり感情的にならない。そのことで、愛する人への愛が足りないのかなと悩むわけですが、その感覚って僕も分からなくはないなと思うわけです。感情表現が上手く出来ない時って、誰にだってありますよね。僕もあまり人に気づかれにくいタイプ。
どこか動揺しないようにしている自分がいると思うんです。人前で喜怒哀楽をはっきりと表すことが、あまり得意ではない。どこかそういうことに対して、恥ずかしいと思ってしまうんです。だからこそ、茂巳の思いというのは理解出来る部分があります」
稲垣「僕は都合よく忘れていくタイプなんです。子どもの頃から仕事をしてきて、ずっとこの世界にいるわけですから、ストレスや目の前に立ちはだかる壁に対して柔軟に受け止め、流していくことが訓練されているのかもしれません。上手くかわしているというか、色々なことを忘れられるし、自分で言うのもなんですが良い性格だと思います(笑)」
稲垣と長きにわたり同じ時間を過ごしてきた香取慎吾に約2カ月前に話を聞いた際、「不満がないので、不満を作らない術を持っているのかもしれません。要は、不満以前の段階で回避しているんでしょうね。自分から、そうではない方向に持っていく」と話していたことを思い出した。
この話に興味深そうに聞き入っていた稲垣は、「確かに彼が不満そうにしたり、怒っている姿というのはあまり見たことがないかもしれませんね」とうなずく。
稲垣「僕の方が分かりやすいタイプかもしれません。せっかちで短気な部分もありますしね。みっともないから人前では出さないですが、すぐ怒ってすぐ忘れるタイプ。もちろん何十年も一緒にやってきているから、色々な場面に遭遇してきましたが、彼が持つもともとの性格的なものがあるのかもしれませんね」
稲垣「あまりないのですが、20~30代の頃に猫を2匹飼っていたんですね。15年くらい生きてくれたんだけど、初めて迎え入れた時と同じテンションで、ちゃんと最後まで愛してあげられていたのかな……と時々思うことがあります。
もちろん当時も自分なりに思いを寄せていましたが、今だったらもっと違う接し方ができたんじゃないかなと考えることもあります。そういうことって、ありますよね。もっと一緒に時間を費やしてあげられたかなと思ったり。
あとは、あっちの道を選んだほうが良かったんじゃないか……みたいなことは、もちろんいっぱいありますよ。でも、“たられば”は仕方のないことですよね。それが本当の後悔とは思わない。その時その時の決断があったから、今があるわけですし」
今までは、グループ最優先で考えていました。グループが最もよく見えるようにやってきましたし、それは素晴らしい経験でした。人のこともちゃんと考えられましたし。最初からソロでやって、自分が前に出るタイプだったら自分勝手になって人のことなんて考えられなかったかもしれない。
今は自分がやりたいことをやらせてもらっていて、それをファンの方々も喜んでくれています。すごく幸せなことだし、僕自身もそれを実感しています」
4年前の東京国際映画祭で、出演作『半世界』でレッドカーペットを歩かせてもらって、すごく嬉しかったんです。観るのはもちろん好きですけど、やっぱり出演するものでありたい。他の共演者から面識のなかった監督を紹介してもらったり、映画祭での素晴らしい出会いというのも経験できましたし。今年もこの映画で東京国際映画祭に参加させてもらいましたが、これからも映画には出続けていたいですね」
世の中には喜怒哀楽の表現の基準があって、例えば、この作品の中では「浮気されたら普通は怒るでしょう。怒らないっていうことは、あなたは相手を愛していない証拠じゃないの」って言われるシーンがあるんですが、それは世の中の基準。でも、そこに同調しないと、軽薄な人間だと言われたり。難しいですよね。一緒になって喜ばなきゃいけないとか、そういうのに冷めちゃうんですよ、僕。この作品ではそういったメッセージもコミカルに、軽やかに描いています。
――作中では、“贅沢な時間”についても話題が出てきます。稲垣さんにとって、贅沢な時間はどのようなものでしょうか。
稲垣:時間に追われないで、なにも決めない時間って贅沢ですよね。ただ気の向くままに、散歩したり。それはすごく贅沢だなあ。あと、自然もいいですよね。海を眺めたり、山に行ったり、ゴルフ場とか、心が洗われます。時間を決めないで、自然と一体化、というと大げさかもしれないですけど、人間社会ではなく、自然の秩序の中に身をゆだねるというか。
――本作では小説も重要になってくるかと思うのですが、稲垣さんも本はよく読まれますよね。
稲垣:読書はちょっと波があるかな。すごくブームのときと、離れちゃうときと。僕はその作品を書いた方と対談したり、お会いできることもあるんですけど、これも最高の贅沢ですよね。そう考えると、僕は贅沢な時間が多いかもしれません。
――稲垣さん流の読書の楽しみ方はありますか?
稲垣:読書の楽しみ方は無限ですよね。人それぞれでいいと思います。でも例えば……1人の作家を深掘りしていくとか、好きな映画の原作を読むとか、自分が好きな人が勧めてくれる本とか。あとはネットで意見を交わすとか、人と繋がれるのもいいんじゃないかと思います。
髪型の乱れを気にするイメージがある稲垣が、バイクに乗るため無造作に手渡されたヘルメットを被るのも意外性があって新鮮に映るし、演じた茂巳と同様、稲垣本人もパフェを好んで食べているわけではないはずだ。茂巳がビギナーズラックを引き当ててパチンコでフィーバーを出した後の反応も「実に稲垣吾郎っぽい」と感じるのだが、当の本人はどう感じているのだろうか。
「僕自身は一度もパチンコをやったことがないわけじゃないですけど(笑)、たしかに甘いモノはそんなに得意なほうじゃないですね。それこそ昔グループにいたころは『あまりしゃべらなさそう』とか、ちょっとクールでミステリアスに思われることのほうが多かった気がしますけど、自分から率先して変わり者を演じていたところもあったと思う(笑)。でも最近は前よりずっと自由になったし、ラジオ番組でゲストを招いてインタビューをする機会も多いから、フリーライターという役柄を演じることについても、それほど違和感は持たなかったですね。意外性のあるほうがおもしろいという面もきっとあると思うので」
「僕もそうだからわかるんですけど、そもそもこういう人たちって、他人にアドバイスを求めていないと思うんですよね。人に依存したり期待したりできない人たちがこうなってしまっているわけですから。ごめんなさいね、屁理屈で(笑)。でもさ、こういう人たちって、『君もそう? 僕もそうだよ』って、みんなで一緒に盛り上がる感じでもないじゃない?」
以前取材で「自分のなかにある熱さとか、弱さみたいなものはあまり人に見せたくない」と話していた稲垣。だからこそ、ある雑誌の取材で「実はカメラを150台所有している」というエピソードを語っていたときは、心底驚いた。それを本人に伝えたところ、こんな答えが――。
「別に隠しているつもりもなかったんだけど、僕はもともと自分から進んでプライベートについて話すタイプじゃないですし、たまたま草なぎさんがフィルムカメラにハマってるっていうから、流れでそういう話をしただけじゃないかな。好きで集めていたら、いつのまにか150台も集まっちゃったというだけで、別に話のタネにしようとか、芸の肥やしにしようとして集めているわけでもないですからね(笑)」
いわゆるコレクターとは少し違うといい、「僕はできればモノを増やしたくないし、別に集めること自体が好きなわけじゃない。もちろん飾って眺めることもあるにはあるんだけど、ただそこにしまっておくだけじゃなくて、ちゃんと全部のカメラに触りたいんです」
まるでアドリブのようにセリフを言って、演技もこちらに任せられているようなところもありました。今泉監督は、「そこに流れる時間」を大切にしているんですね。共演者の方とも波長があって、キャスティングもピタッとはまった感じです。その空気の作り方が大事なんだと思います。
役者としては自分の爪痕を残そうとか、自分のパフォーマンスをするよりも、全体の空気感を大切にしていました。書かれている台詞も素敵だったので、自然に話せばストーリーが流れましたね。
飄々とやっていれば、その雰囲気が出るかなと(笑)。僕もそういう雰囲気もありますよね、きっと。ナチュラルにやったらその感じが出るだろうと思って脚本も書かれているので、作り過ぎなかったです。
結局、どんな場面でも自分が共感できることが重要かと思います。この作品では、自然と役に共感していました。
2021年猛暑の中での3週間の撮影は、ふわっとした不思議な時間でしたね
とても重要ですね。やっぱり映画は大好きですし、出るのはもっと好きですから。デビューしてから、俳優としてずっとやり続けてきましたが、これまでは、映画の出演本数は少ない方だったと思います。
ここ数年は映画出演もコンスタントにできて自分にとっては理想的な状態です。これからもずっと続けていきたい仕事ですね!
俳優としての変化は、役者としての僕を見る観客の方が決めることかもしれませんが……。自分の中では変わったこと思うことは、実は特にないんです。生きている限り、人は自然に変わり続けてるってことですから。
人生を重ねて経験をしていく中で、役者としての表現が変わってくる……、その形でいいと思っています。ただ、映画にコンスタントに出られるようになったという、“状況の変化”は大きいですね。
あります、あります!自分の時間がすごく増えましたよね。当然だと思いますが、それはいいことだと思います。
自分の時間が増えたので、映画観たり、小説読んだりして、好きなことができますね。それが自分の身になっていますし、仕事にもつながって楽しんでいます。
小説を読んだり、カメラも好きで写真を撮ったり……やりたいことは多いですが、これまでやってきた好きなことを継続している感じです。夜更かしはしませんけど(笑)
自然がとくに好きになって、植物が増えてきましたね。花は元々好きでしたが、自然と向き合う時間であったり、自然の大切さを感じるようになりました。年齢的なものもあるのかもしれませんね!
――いま48歳という、大人の男性としても魅力的な年齢ですが、この先の「50代」に対してはどうイメージされてますか?
稲垣吾郎
これまで、あまり年齢を考えないでやってきているのですが……「50」という数字には、とくに捕われらくないし変わらずにやっていきたいですね。
でも、今まで以上にケアはしないといけないかな?年齢や衰えに対して無理に逆らうことはないけれども、できることはやって予防・危機管理しながら、いい50代を迎えたいと思います。
――50代はどうありたい、と考えていますか?
基本の「き」ですが、心も体も健康にです。健康年齢は大切ですね!
50代、60代の素敵な先輩も多く、皆さん元気ですよね。それにある程度の欲というのも持っていたいですね。まあ、“変わらずに”かな。
また、「相手に依存はしないように。『相手に期待をしない』というのが僕の座右の銘なのですが、それはとても大事なことだと思っています」と座右の銘も紹介。
「相手に期待しすぎたら、その期待通りにならなかったときに苦しい。この作品も、浮気したら普通怒るでしょ? というのが一般論としてありますが、普通って何? って。相手に期待しすぎないというのも、優しさなのではないかなと思います」と話した。
「子供の頃から芸能界にいたので、いろんなことに動じない、ショックを吸収できる心になったのかもしれません。もちろん相手と分かり合っていくことも大切なことだと思いますが、分かり合っているつもりでいいのかなと。そういう僕の人生観とこの作品は重なるところがあって、共感できました」
「30年も同じ会社で同じグループで同じような状況でずっとやってきたので、全く環境が変わって最初は不安もありましたが、やっていくと、できることも増えたし、ソロになったからこその仕事もいただけて。例えばラジオのパーソナリティーも、こういう役もそうだと思います」
そして、「グループだとどうしてもグループの中での自分の立ち位置や世間のイメージがあって、5色だったら、あなたは赤であなたは青、となってしまう。赤も青もあるのに。皆さんそれだけではないと思っていたと思いますが、グループの中での自分の居方やポジションを大切にしてきたので。今はそれがないからこそできる仕事もあるのかな」「逆にグループで培ってきたもののおかげでいただけている仕事もありますし、新しい地図としての5年間は本当にいい時間を送ってこられて幸せいっぱいです」
難しいね。「かっこいい」ってなんだろうね……。まぁ、いろんなことがナチュラルにできる人がかっこいいんでしょうね。自分ではそれをかっこいいと思ってやってないことが、かっこいいんだと思います。でも僕にはそれが絶対できないんですよね。だからこそ、僕は自分のことをかっこいい人間だとは思ったことはないし、根っからかっこいい人間にはなれないと思います。ただ、こういう仕事をしているからには、そこに近づこうとは思っています。
実は、「かっこいい」の定義について僕はあまり考えたことがなくて、「美しさ」のほうに興味があるかな。例えば、花は自らが美しいと思って咲いているわけじゃなくて、自然に咲いているのを見た人がその美しさを賞賛(しょうさん)するじゃないですか。そう考えると、「美しい」ことも僕が最初に言っていた「かっこいい」ということにつながりますね。
うーん……僕は期待というものをそこまで真面目にとらえてないですね。応えられるものには応えるし、応えられないときは応えられない。そういうマイペースさがあるので、僕にとっては「期待」は残酷な言葉ではなかったです。このセリフはすごくまっすぐな言葉ですよね。もちろんわからなくはないけれど、さっきも言ったように、僕自身は人に期待しすぎることがあまり得意じゃないので。
「ただ僕自身は、人に期待しないことが多いかもしれないですね。期待したものを得られなかった時にガッカリしたり、期待しすぎるとトラブルになる気もして。あまり人に期待しすぎない、頼りすぎないというのは、どこか冷めているのかもしれない。でも執着することが愛だと思っている人もいれば、それが傷になってしまう人もいるから。難しい問題ですよね」と、市川同様に執着しない自身を分析。「僕は人って、どこか寂しい生き物だと思うし、孤独を愛せないとダメなのかなと思っています。だからこそ、ちょっとしたことで誰かと喜び合えたり、分かり合えた瞬間があると、ものすごくうれしい。その思い出だけで一生やっていけると思うくらい、うれしい」とふわりと微笑む。
今は「肩書きは俳優」と胸を張って言える
稲垣は「今まで演じてきたようなものとは、また違ったアプローチが必要になる役が増えてきています」と現状を分析。「それまではパブリックイメージとして、グループの中にいる稲垣吾郎としてのイメージが大きかったと思うんです。最近はより自然体に生きることができているし、そういった僕自身から透けて見えるものをいろいろな監督がピックアップしてくださることで、あらゆる作品、役柄へと繋がっているような気がしています。本作の市川も、まさにそういった役ですよね」と思いを巡らせつつ、「ただパブリックイメージがあることも面白いなと思っていました。
三池崇史監督が『意外性のある役を演じたらきっと面白い』と感じてくださって『十三人の刺客』で僕をヒール役に選んでくれたように、イメージを覆すようなこともできる」と俳優業にあらゆる可能性を感じている。
「15歳の時にNHKの朝ドラ『青春家族』(1989)でドラマデビューをしたんですが、その時点で『お芝居ってすごく楽しいな』という気持ちが湧いていました」と、スタート時から魅了されていたのだとか。「その時に、一生この仕事をやっていきたいなと思いました。そう感じたことを今でも続けられているというのは、本当に幸せなこと。舞台をやり始めたことや、その初期につかこうへいさんとご一緒できたことも大きな経験になりました。今では胸を張って『俳優です』と言えるような肩書きになったし、書類の職業欄に書くとしたら“俳優”だと思っています」と誇りと情熱をみなぎらせる。
「お芝居はやればやるほど、考えれば考えるほど難しいもの。積んできた人生経験や、今の自分がどうしたってにじみ出るので、とてつもなく面白いものでもある。そうして突き詰めてきたという意味では、お芝居に対してより真面目になってきたのかもしれないですね」
48歳の恋愛観・結婚観を教えてもらった。「相手がいればいつでも、そういう(結婚するという)人生を歩んでみたいなと思っています。結婚願望があるとか、急いでいるというわけではまったくないんですが、ナチュラルに、自然な成り行きに任せて、そういうタイミングが来たら受け止めたい。流れに身を任せているだけでは、何も変わらないのかもしれないですけれど(笑)」と自然体の姿も何とも魅力的だ。
-最後に、『窓辺にて』という印象的なタイトルをどう受け止めたか教えてください。今泉監督は「われわれがどんな選択をしても、窓辺の光はいつも同じくそこにあって、照らしたり温めてくれたりする。静かに肯定してくれる」と解釈しているようです。
すごくロマンティックな解釈ですね。監督の中では、僕が窓辺でたたずむ一枚の絵がビジュアルとして思い浮かんだということもあるようです。ヨーロッパ映画のような色合いで、窓からの自然光が印象的なシーンも多いですし、絵作りの上でそういうことは意識していらっしゃるんでしょうね。改めて考えてみると、窓って、それが一枚あることで、相手から見られていながらも、自分のパーソナルスペースを維持できる安心感も生まれる。今まであまり意識していなかったですけど、面白いですよね。