3階建ての重厚感あるセットと多層構造を駆使した映像、そして三宅氏の音楽がパリの街並みを再現し、フランス革命期のエネルギーが舞台上で表現していく。
開幕を前に、稲垣は「久しぶりの新作舞台になり、良い緊張感で稽古を続けることができました」と手応えを感じている様子。「フランス革命期に実在した死刑執行人“サンソン“は、僕がぜひ演じてみたいと思っていた人物でもあります。重い時代の中でも、社会を良くするために職務に忠実に生きた、サンソンという人物を精一杯演じたいと思います」と意気込みを語った。
また、演出の白井氏は「当初、この様な時世の中で、これほどエネルギーを必要とする作品を作ることが本当にできるのか、大きな不安を持ちながら創作は始まりました。民主政治の源流となったフランス革命の熱と、その時期に実在したサンソンという死刑執行人の苦悩の物語を語るには、余りにも状況が不向きのような気がしたからです。ムッシュー・ド・パリと呼ばれたひとりの男がたどった人生は、今の私たちからはおよそ想像できないほど過酷なものだったはずです」と回顧。
しかし「その人生に迫ろうとキャスト、スタッフが懸命にリハーサルを積み重ねるうちに、人が集まり創造するという演劇の持つエネルギーが、私たちをどんどん前へと引っ張ってくれ、初めあった不安は少しずつ消えていきました。そして、今、死神のように恐れられたシャルル−アンリ・サンソンの、心の奥底に流れる優しさに触れることができた気がします」と稲垣と同じく自信をみせ、「フィクションの中にあるリアルを作り出す為に、献身的に惜しみなく力を発揮してくれた、キャスト、スタッフの結束力がもうすぐ実を結びます、きっと」と言葉にした。
稲垣吾郎主演舞台「サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-」4月23日開幕!横浜追加公演決定!公開ゲネプロレ... ロベスピエール、 マリー・アントワネット、 ルイ16世・・・。歴史に燦然と輝くフランス革命、 その真裏で同時に進行していた知られざる真実が。
そう、彼らの首をはねたのは、 一人の男・サンソンだった。本作は、宿命と戦いながら生き抜いた孤高の人物の物語。
18世紀のフランスに実在した死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンを稲垣吾郎が演じる。
サンソンは4代目の死刑執行人として激動のフランス革命期を生きた実在の人物。 代々続く死刑執行人という宿命を背負いながら、処刑人でもあり医師でもあった彼は「人間の生死を決められるのは神だけではないのか」、 「死刑制度はなくさなければならない」と死刑廃止論を唱え、 自問自答を続けた。
主演・稲垣吾郎(シャルル-アンリ・サンソン)コメント
久しぶりの新作舞台になり、良い緊張感で稽古を続けることができました。
フランス革命期に実在した死刑執行人“サンソン”は、僕がぜひ演じてみたいと思っていた人物でもあります。
重い時代の中でも、社会をよくするために職務に忠実に生きた、サンソンという人物を精一杯演じたいと思います。
演出 白井晃コメント
当初、このような時世の中で、これほどエネルギーを必要とする作品を作ることが本当にできるのか、大きな不安を持ちながら創作は始まりました。民主政治の源流となったフランス革命の熱と、その時期に実在したサンソンという死刑執行人の苦悩の物語を語るには、余りにも状況が不向きのような気がしたからです。
ムッシュー・ド・パリと呼ばれたひとりの男がたどった人生は、今の私たちからおよそ想像できないほど過酷なものだったはずです。しかし
その人生に迫ろうとキャスト、スタッフが懸命にリハーサルを積み重ねるうちに、人々が集まり創造するという演劇のもつエネルギーが、私たちをどんどん前へと引っ張ってくれ、初めあった不安は少しずつ消えていきました。
そして、今、死神のように恐れられたシャルル-アンリ・サンソンを作り出す為に、献身的に惜しみなく力を発揮してくれた、キャスト、スタッフの結束力がもうすぐ実を結びます、きっと。
稲垣吾郎、死刑執行人の葛藤を熱演 舞台『サンソン』公開ゲネプロ 本作は、フランス革命期に実在した死刑執行人シャルル-アンリ・サンソンを稲垣が演じる新作舞台。マリー・アントワネット、ロベスピエール、ルイ16世らの首を刎ねたサンソンは、現役の医師であり、死刑廃止論者でもありながら、死刑執行人だった。激動のフランス革命期、運命に立ち向かった人物を稲垣が全身全霊で演じる。
公開ゲネプロでは、群衆をかき分け登場し、マントを翻したサンソン(稲垣)。死刑執行人という生まれた時から決められた運命を受け入れ、悩みながらもその仕事に誇りを持って向き合う。罪や身分によって決められた刑を執行し、処刑台の上に立って大剣を振り下ろす場面も。「死刑制度はなくさなければならない」と自問自答しつつ自らの職務をまっとうするサンソンを稲垣が熱演した。
稲垣吾郎 主演舞台で死刑執行人に「ぜひ演じてみたいと思っていた」 – 東京スポーツ新聞社 稲垣が18世紀フランス革命の時代に実在した「死刑執行人」のシャルル―アンリ・サンソンを演じる。
サンソンはパリで4代目の死刑執行人。自らは熱心なカトリック教徒でありながら「死刑制度はなくさなればならない」という葛藤の中で自らの職務をまっとう。平等思想の観点からそれまで貴族と平民で違いがあった死刑執行の方法を「誰にでも平等に苦痛を感じさせない死を」とギロチン(断頭台)の発明にも一役買った人物でもある。
『サンソン─ルイ16世の首を刎ねた男─』稲垣吾郎 インタビュー | ローチケ演劇宣言! この1月、『No.9ー不滅の旋律ー』で3度目のベートーヴェンを演じたばかりの稲垣吾郎が、『サンソン─ルイ16世の首を刎ねた男─』で、新たな役に挑戦する。18世紀のフランスに実在した、死刑執行人シャルルーアンリ・サンソンである。日本ではあまり知られていないこの人物は、熱心なカトリック教徒で、「人間の生死を決められるのは神だけではないか」と苦悩し続けていたという。ベートーヴェンに続き、人間の苦しみや葛藤を表現することにまた飛び込んでいく稲垣は、この人物をどう生きるのだろうか。
しかも、死刑執行というのは人間の歴史のなかに必ずあった務めで、世間からの偏見とか重圧を抱えながら任務を果たしてきたんですから、もっとフューチャーされてもいいんじゃないかと、そんなことを思ったんです。それで、何かやれないかなというお話を、『No.9』でお世話になっていたプロデューサーの熊谷信也さんや演出の白井晃さんとしていて。最初は「やれたらいいな」くらいだったのでこんなに早く実現することになってびっくりなんですけど。これまで自分からアクティブに企画したり発信したりすることがほとんどなく、いただくお仕事をこなすのが精いっぱいだっただけに、一応自分発信でスタートしてこうして形になって、本当にうれしく思ってますね。
耽美で荘厳な音楽と共に幕が開くと、場面は1766年、フランス・パリの高等法院法廷。舞台の三方を囲んだ3階建てのセットは、シーンによって裁判所、ヴェルサイユ宮殿、バスチーユ監獄、そして処刑場に見立てられる。冒頭、稲垣扮するシャルルは、群衆をかき分けながら、マントをひるがえして颯爽と登場した。シャルルはパリで唯一の死刑執行人として民衆に忌み嫌われながらも、国の裁きの代行者“ムッシュー・ド・パリ”と呼ばれる誇り高い男。とある貴婦人から訴えられた裁判で、彼は処刑人という職業の重要性を聴衆に説き、1人の弁護人もいない中、裁判の勝利を手にする。
1774年、ルイ15世が死去し、ルイ16世がフランス国王に即位。国は大きく揺れ、シャルルのもとに次々と罪人が送り込まれる。日々の鬱憤を溜め込んだ貴族や民にとって、処刑見物は一種の娯楽となっていた。心に“慈悲の精神”を持つシャルルは、処刑の残虐性と責務の間で、自身の仕事の在り方に疑問を抱き始める。1791年、すべての死刑囚が斬首となることが決定されると、シャルルは罪人に苦痛を与えずに済む断頭台の製作に取りかかり……。
稲垣は、当時世襲制だった処刑人の4代目としてのプライドを胸に、真摯に職務に向き合うシャルルの誠実さと、内心は死刑廃止論者であることの葛藤を演技の端々ににじませる。苦悩を抱えながらも冷静に刑を執行する、稲垣の鬼気迫る熱演に注目だ。また中村橋之助は、国民たちの境遇に心悩ませる若き王・ルイ16世の優しさと強さを、どっしりとした立ち居振る舞い、セリフ回しで体現。作中では、フランス革命によってもたらされた2人の抗いがたい悲運の行方が語られる。
本作では、チェンバロ職人・トビアス役の橋本淳、蹄鉄工の息子・ジャン=ルイ役の牧島輝、若きナポレオン役の落合モトキ、のちに革命家となるサン=ジュスト役の藤原季節、ジャンの恋人・エレーヌ役の清水葉月らが若々しいエネルギーで舞台に華を添える。シャルルは、彼らと出会うことで、己の価値観を揺さぶられ、法律と罰則について考えを深めていくことになる。
さらに、“ギロチン”の語源とも言われるギヨタン医師役の田山涼成、シャルルの父・バチストと、革命家・ロベスピエール役の榎木孝明が説得力ある演技で脇を固めた。激動の時代に人々の“死”を見届けてきたシャルルの行く末とは……。
『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』 1766年、フランス。その日、パリの高等法院法廷に一人の男が立っていた。
彼の名はシャルル-アンリ・サンソン。パリで唯一の死刑執行人であり、国の裁きの代行者として“ムッシュー・ド・パリ”と呼ばれる誇り高い男だ。パリで最も忌むべき死刑執行人と知らずに、騙されて一緒に食事をしたと、さる貴婦人から訴えられた裁判で、シャルルは処刑人という職業の重要性と意義を、自らの誇りを懸けて裁判長や判事、聴衆に説き、弁護人もつかずたった一人で裁判の勝利を手にする。このときには父・バチストも処刑人の名誉を守ったと勝利を祝う。
だが、ルイ15世の死とルイ16世の即位により、フランスは大きく揺れはじめ、シャルルの前には次々と罪人が送り込まれてくる。将軍、貴族、平民。日々鬱憤を募らせる大衆にとって、処刑見物は、庶民の娯楽でもあった。
己の内に慈悲の精神を持つシャルルは、処刑の残虐性と罪を裁く職務の間で、自身の仕事の在り方に疑問を募らせていく。
そこに、蹄鉄工の息子ジャン-ルイによる父親殺し事件が起こる。実際は彼の恋人エレーヌへの、父親の横恋慕がもつれた事故なのだが。彼を助けるべく友人たち、チェンバロ職人のトビアス、後に革命家となるサン-ジュストらが動き、シャルルはそこでさらに、この国の法律と罰則について深く考えることになる。
さらに若きナポレオン、医師のギヨタンら時代を動かす人々と出会い、心揺さぶられるシャルルがたどり着く境地とは。
稲垣吾郎が孤高の死刑執行人を熱演~『サンソン―ルイ16世の首を刎ねた男―』ゲネプロレポート | SPIC... 「フランス革命」を題材にし、死刑執行人にフォーカスしている作品のため、暗く重苦しいイメージを抱くかもしれない。また、シャルルは時代が大きく変わる中で悩みながらも自らの矜持を真っ直ぐ貫き、役割を全うした冷静な人物。演じる稲垣も、大袈裟な表情や身振りで感情を表すことはない。
しかし、所々にお茶目さを感じる言動があったり、全編を通して物静かな佇まいの内に情熱や優しさが見えたり、意外と表情豊かだ。稲垣の芝居により、人間味に溢れたシャルル-アンリ・サンソンがイキイキと浮かび上がってくる。脇を固めるキャスト陣も、奥行きのある芝居で当時の人々の生活や思想を鮮やかに見せている。
冒頭で行われる裁判中の演説では、シャルルが自信に満ちた立ち居振る舞いで饒舌に「処刑人」の必要性と重要性を語り、多くの人が持っているだろう負のイメージを一蹴。一方で、罪人の苦しみにも思いを馳せ、より人道的で平等な処刑を行うために奔走したり、父・バチストに向かってこの重い仕事を子孫にもさせていくのかという葛藤をぶつけたり、ジャン-ルイ・ルシャールが父親の事故死で「親殺し」として裁かれようとしていることに疑問を持ったり。社会に必要な役割であることを理解しつつ、自らの手で人を処刑する当事者としての苦悩や割り切れない思いが丁寧に描かれている。
また、シャルルを主軸にした物語ではあるが、様々な立場の人間の視点や価値観が見えてくるのも本作の魅力。特定の人間から見た正義や善悪だけを一元的に描くのではなく、どこか俯瞰した視点は、処刑人として人々から忌み嫌われ差別を受けながらも貴族として扱われたシャルルの稀有な立ち位置があってのことだろう。
バチスト、ギヨタン、ナポレオン、ルイ16世など、様々な人との対話や出会いの中で影響を受けて揺らぐや心情や葛藤は鮮烈な印象を残す。
特に、裁判所でシャルルが語った「処刑人と軍人は同じである」という主張に若きナポリオーネ・ブオナパルテが憤りをぶつけるシーンは、お互いが考える「国」の定義や信念の違いが明確に見え、「何を持って人を処刑するのか」を改めて考えさせられた。シャルルの静かな佇まいとナポリオーネの不遜な態度の対比も楽しい。
他にも、父・バチストとトランダル将軍の友情、自らに課せられた罰を受け入れようとするジャンの気高さなど、見所は盛り沢山。
ジャンの無実を訴える民衆の中にもトビアス・シュミットやエレーヌのような穏健派と、ルイ-アントワーヌ・サン-ジュストのように過激な思想を持つものが混在し、その後の混乱や国内での対立が示唆される。世相が急激に変化していく様子がドラマティックに描写されるからこそ、シャルルの孤高な存在感が際立っている。
また、ルイ16世はこの作品におけるもう一人の主役といっていいだろう。
本作においては時代の変化を察知し、民衆の気持ちに思いを寄せる魅力的な人物として描かれている。君主らしい寛大さと威厳を持っていると同時に、シャルルに対しても敬意を払い、気さくに話しかける姿は心優しい善き王だ。
ルイ16世が機械を使った処刑に理解を示し、シャルルが「陛下は聡明だ」と嬉しそうに語るなど、二人の交流にあたたかい気持ちになる一方で、彼らが辿る陰惨な運命を思うと胸が痛む。
フランス革命は200年以上前だが、本作を観ていて、過去のこと、終わった出来事とは感じられない。むしろ、国・政治と民衆の乖離やズレ、大衆が持つ力の大きさと恐ろしさ、人が人を裁くことの是非など、今現在私たちが抱えている問題や考えるべきトピックスを提示し、ヒントを与えてくれる作品だ。
死刑執行人・医師・敬虔なカトリック信者、死刑廃止論者……様々な側面を持ち、苦悩の中で自らの宿命と戦い抜いたシャルル-アンリ・サンソン。活発に行動し、周りを巻き込んでいくタイプの主人公ではないが、葛藤しながらもブレない軸を持って物事を見極めようとし、より良い道を模索する彼から学ぶことは多い。