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4 years ago
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4 years ago
稲垣さんのもとに、「手塚眞監督が、父である手塚治虫さんの“禁断の問題作”とされている『ばるぼら』が映画化することになった。主演の美倉洋介を演じてもらえませんか?」というオファーがあった。

稲垣 僕は、グループでデビューする以前に、実はお芝居の世界に先に足を踏み入れているんです。……具体的にいうと朝ドラですが、CDデビュー前に映画にも出演させていただいていて、当時から映画の現場は「ずっとやっていきたいな」と思えるような、強烈な引力のある場所でした。お芝居の楽しさとか、新しい自分を常に引き出してくれたのが映画だと思っていて、観るのも演じるのも好きなんです。
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4 years ago
お話を頂いたのは、大きな事務所を離れて環境が変わって、新しいスタートを切っていた頃。今までの自分とは違う、観てくださる方の期待を、いい意味で裏切ることができるような作品になりそうだという期待感があって、「これはありがたいお話だ」と思いました。撮影監督がずっと大好きだったクリストファー・ドイルさんで、共演が二階堂さんだと伺って。断る理由がなかったです。
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4 years ago
稲垣 実はさっきその話を聞いたんですが、僕としてはかなり意外でした。撮影3日目ぐらいには、「迷ってます」というようなことをおっしゃっていて、「言われてみれば僕もそうだ」と思っていた。でも、まさか最後まで全部そういう感覚だったなんて。

ただ、僕としても今思うと、そうやって迷いながらやっているからこそ、ばるぼららしくて、幻想的に見えたのかな、と。迷いながらやっていることが魅力的に映る女優さんて素敵じゃないですか。たぶん、二階堂さんは子役のように、動物のように、欲なく演じていたんでしょうね。だから、お話を伺って僕は、「なるほどな」と思いました。彼女は、ばるぼらにしか見えなかったし、僕はそれに引っ張られたというか、巻き込まれたというか、翻弄されたというか(笑)。結果として、それがよかったんだと思います。
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4 years ago
「ビッグコミック」(小学館)で1973年から1974年まで連載されていたこの漫画の中には、人間に潜む変態性や、芸術と大衆娯楽への葛藤、ユニセックスへの憧れなどのテーマが混在している。手塚治虫のあまりある才能の鬱憤が詰まったこの漫画で、当時、主人公のモデルは手塚治虫本人ではないかと言われていた。

稲垣 監督はずっと、狂気の部分をクローズアップするよりも、「普遍的な愛の物語にしたい」とおっしゃっていました。魅力的な女性との出会いによって堕ちていく美倉という男に共感するのは難しいけれど、40代の男が抱く迷いというテーマは、僕も多少なりとも共感する部分はあるんですよ。
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4 years ago
何十年もこの世界で仕事をしながら、大衆的なものとか娯楽的なことをすごく意識して、僕らはずっとやってきた。本当は、「こういうものもやりたいな」と思っていても、一般的に思われているイメージは大事にしなければいけない。特に僕の場合グループで活動していたので、自分の立ち位置を弁えることも大事で。そういうバランスの中で成立している、まるで大企業のようなグループだったと思うし、大きなグループだからこその魅力や楽しさもたくさんあった。でも、たくさんの地位や名声を手に入れていた美倉がこれからの道を思い悩んだことに関しては、「わからなくもないかな」と思いますね。主人公の異常性欲とか、フェティッシュな部分に共感するのはなかなか難しいけれど(笑)。
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4 years ago
あ、でもそういう男性の幻想みたいなものも、ゼロではないかもしれない。「こんなミューズが現れて自分を変えてくれたら」と思うことだけなら勝手ですからね(笑)。羨ましいかどうかはともかく、願望なら少しはあるんじゃないかな。かといって、美倉みたいに奇行には走りませんけど(笑)。
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4 years ago
稲垣 そこを解放するところが、原作から強く感じられる美倉の“マッチョ感”なのかな。地位や名声や性欲に引きずられていく男って、ある意味70年代的だと思うんですが、そこは、僕が演じたことで、ちょっとマイルドになったかもしれない(笑)。映画は、原作よりは2人のラブストーリーに近くなっているんじゃないかと思います。やっていることは変なんだけれど、美倉とばるぼらの立場が対等、というか。原作よりも映画の方が、美倉が振り回されている。そういう意味では、今の時代に合った「ばるぼら」にはなったのかな、と。
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4 years ago
稲垣 ただ、自由にしても芸術にしても、制約があってこそ輝くもの、という捉え方もあるよね。自由や芸術の何に価値を見出すかは、人によって違う。そこが人間の作り出すものの面白いところなのかもしれないな、と僕は思います。
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4 years ago
稲垣 なるほどね。僕は、芸術って優しいと思う。「こうだ」って決めつけないから。

稲垣 ただ、「優しい」を「心地いいもの」とイコールにはしたくないですね。心地いいものだけが美しいわけではないから。今って何でも二元論にしたがるけど、僕は、映画のレビューを書くときでも、「こうやって観てください」というのを一番言いたくないんです。何事も、こうだと決めつけない。その余裕があるものが芸術であり、自由だと思う。人との関係性も同じで、僕は、人のことなんてわからないし、わからなくていいというスタンスです。二階堂さんについても、知りすぎないから良かったのかな、と(笑)。
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4 years ago
稲垣 先ほどの話と重なりますが、今回は、俳優が芝居をし、俳優がどう動くからカメラがどう撮るかではなく、最初から撮る“画”が決まっていたんです。……でしたよね?

二階堂 はい。だから自発的に動いた記憶があまりないです。こうしてくれ、と言われて、はい、とそのとおりにするという感じでした

稲垣 それも面白かったよね。絶対的な安心がありましたから。このシーンはこういうカメラの動きで、という絵コンテのようなものがあるので、1枚1枚が画として楽しめるような美しい映像になっていると思います。場面によっては監督が2人いるような感じでもありました
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4 years ago
稲垣 撮影自体は3週間強くらいと、割にコンパクトに終わりました。撮影から2年経っていますが、あることは昨日のことのように断片的に思い出したり、あることはすごく昔の出来事だったように感じられたり。本当に僕がやりたいスタッフや共演者の方々とチームで3週間、過ぎてしまうのが悲しいような気持ちもありつつ、だからこそ現場での時間を慈しみ、大切に感じながら過ごしました。でも、あの時間は無くなるものではなくて、そこから作品が完成して残っていくわけですからね
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4 years ago
二階堂 私にとって稲垣さんは、それこそ生まれたときから当たり前のように、テレビやスクリーンの向こう側にいらっしゃる方だったので、こうしてご一緒できただけで……という感じです。本作は、ともすると“変態作家の妄想話”となりかねないと思うんです。でも、そこに芸術家としての奥深さ、はかなさ、美しさ、作品を生み出す苦しみなどを感じさせるには、演じ手の方に教養があり聡明な方だといいなと思っていたのですが、稲垣さんだとお聞きして、それはスゴイ、純粋に観たい、と思いました。ある意味、美倉というキャラクターを稲垣さんが演じられるということが、一番の裏切りになっていると思います。実際の稲垣さんは、すごく気さくな方でした
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4 years ago
稲垣 ふみちゃんが沖縄に居た頃の話や、僕らが出ていたテレビを観て元気をもらっていたという話もしてくれて、とても嬉しかったな

二階堂 あとは、お花のことをお聞きしたり

稲垣 ふみちゃんが飼っている愛犬の話や、車とか動物とか、本当に他愛のない話をしましたね。後半は重いシーンがあって、お喋りするような雰囲気ではなかったですが。僕自身、ばるぼらの幻想や夢を見ているような感覚で過ぎていった3週間は、それだけ濃密な時間を過ごした、ということなんでしょうね
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4 years ago
稲垣 そういう気持ちは、すごく分かるな、と思います。この「ばるぼら」は、手塚先生ご自身の芸術論であり、表現論でもありますよね。手塚先生もやはり大衆娯楽と、本当に表現したい芸術との間で苦しむということがあったのではないか、と。だからと言って僕自身が芸術家だ、ということではないですが (笑)、その気持ち、分からなくはない。というのも、これまで僕はずっと大衆や娯楽というものを意識して、グループでやってきたわけです。その中で、苦しむまではいきませんが、自分のやりたいことと、求められることの狭間で悩む、ということはありました。今でもそうです。でも、きっと迷っているくらいの方が、観ている方は面白いのかな、とも思ったりします
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4 years ago
稲垣 ただ、美倉のような狂気・変態ということに関すると……それも、分からなくはないな、というと語弊があるかもしれませんが(笑)、人間だれしもフェチみたいな面ってあると思うんですよね。きっと人には決して言わないことって誰でも持っていると思いますし、そういう意味で分からなくはない。彼の奇行を理解できるとは言えませんが、男性たるもの“ミューズが居てくれたらいいな”という気持ちは意外と分かるところはありますよ
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4 years ago
――二階堂さんの稲垣さんの印象というと?

二階堂 謎でした(笑)。特に自分が高校生の時に拝見した『十三人の刺客』(2010年)の役が印象的で、すごい役者さんだなって思ってました。あんなに残酷な役を演じられる方はどんな方なんだろうなって。一方で、私が物心ついた頃から、ずっとトップで活躍されている方で。歌を歌ってらっしゃったり、バラエティでコントをやられてたり、映画の評論も読ませていただいたこともありますし……だから、勝手にもう知ってる気持ちになってしまっているのが不思議です(笑)。実際今回ご一緒させてもらって、稲垣さんの文学的な空気や聡明さが美倉っていうキャラクターにマッチしているだけじゃなくて、より血となり骨となって立体的になって、だからこそすごく素敵な映画になったと思いました。
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4 years ago
――『ばるぼら』の物語の中で一番共感した部分というと?

稲垣 美倉が求められるものと自分のやりたいもののはざまですごく悩んでいる様は、わからなくはないですね。70年代当時の手塚先生自身のお気持ちも反映されてる作品だと思うんですけど。僕は、何十年も大衆娯楽というのを意識して活動してきて……特にグループで活動していたので、このポジションでいなきゃいけないんだろうなっていう想いと、こういうこともやってみたいなっていう想いとの戦いがありました。そういう葛藤があった上でできあがった大企業みたいなものだったのかもしれません。今の自分はそれがあったからこそ。だから、わかるところもありますね。
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4 years ago
でも美倉の、ばるぼらみたいなミューズが現れて自分を変えてくれたらっていう願望は勝手だなとは思いますけど(笑)。ただ、そういう幻想は大なり小なり誰でも持っているものだと思いますね。
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4 years ago
稲垣 80年代も90年代も、特にこういう芸術表現の世界では、今より全然自由な空気があったよね。『ばるぼら』の連載が始まった73年は僕が生まれた年なんですけど、この時に手塚先生は、『ばるぼら』だけでなく少年漫画も描かれてたわけだから、今だったらその少年漫画を読んでる子供の保護者とかから『ばるぼら』に対して抗議があったかもしれないよね。

二階堂 許容範囲が徐々に狭くなっているということなんですかね? それとも、昔はスマホもなかったし、情報を遮断しようと思えば遮断できたってところも大きいんでしょうか?

稲垣 やっぱりネットが大きいよね。昔はカオスだったけれど、観たくなければ観なければいいわけだし。情報が今みたいに広がらないから、同調圧力みたいなものもなかったしね
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4 years ago
――『ばるぼら』では芸術家の苦悩が描かれていますが、おふたりとも役者業のみならず、多彩な表現活動をされています。美倉のようにスランプに陥るような時期は経験されていますか?

稲垣 僕はゼロから物を作ることはしていないので、美倉の産みの苦しみはわからないんですけど、スランプは誰でもあるとは思います。でも役者って、迷ってることが魅力的に映ったりする仕事でもあるんですよね。自信があると、酔って自信満々の顔になっちゃうから。ちょっと不安な感じを大切にしてるところが僕はありますね。
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4 years ago
――もしインスピレーションが鈍っていると感じたら、どういうことをして回復させるんですか?

稲垣 若い時の自分と仲良くする(笑)。若い時の自分って、すごく研ぎ澄まされている感じがしているので、昔好きだった作品に触れるとかね。昔書いたエッセイとか読むと、今より良かったりするんだよね。この業界に長くいると、どんどん凝り固まってきてしまう。ルーティンになってる感じを壊したい時には、自分の若い時の感性を信じます。趣味とか“良いな”と思った感覚って結局変わってないんですよね。『ばるぼら』の手塚眞監督もクリストファー・ドイルも、自分の美意識の原体験になっている芸術家の中のひとりですし。だから今回ご一緒できたのは、夢みたいな時間でしたね。
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4 years ago
――夢とうつつの狭間を描く今回の『ばるぼら』は挑戦作だったと思いますが、どのようなところに惹かれて出演を決められたのでしょうか。

稲垣吾郎(以下、稲垣) そもそもオファーをいただいたのが、ちょうど2年前、新しい環境でスタートを切った頃でした。それまで映画でお芝居の楽しさを教えられ、新しい自分を引き出してもらってきたので、今後も映画をやっていきたいと思っていた時に、20代の頃『白痴』という映画に衝撃を受けた手塚監督から声をかけていただいて。いつかご一緒したいと思ってきたので、そんな思いって届くというか、響き合うんだな、と。これまでの僕のイメージを、良い意味で裏切ることもできる作品だったので、ありがたきチャンスと思いました。
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4 years ago
撮影も結果的にうまく運び、クランクアップの時、「稲垣さんでよかった」と手塚監督が言ってくださって。何十年も映画化を望んでこられた手塚治虫先生の原作だけに、監督の「稲垣さんでよかった」というお言葉は何よりうれしかったですね。
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4 years ago
稲垣 ウォン・カーウァイ映画も20年以上前に出会い、ドイルにしか出せないアジアの色彩が目に飛び込んできて衝撃でした。彼が撮った映画、彼が監督した映画、そして写真集まですべて好きで、僕の愛する美しいものの原体験にもなっています。
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4 years ago
稲垣 いま聞いていて、最後まで迷われていた、ってことが意外でしたね。ただ、ふみちゃんに関していえば迷いながらやってたとしても幻想的で、それがまさしく「ばるぼら」に見えた。本人は大変だったかもしれませんが、迷いながらやっていることが魅力的に映る女優って、すごいじゃないですか。自信たっぷりで自我が強くて、苦手意識を持ってしまうような人だっていますよね。無垢な子役のように、もしくは動物のように、欲もなく演じていることが魅力的に映る、それがいちばんだと思いますね。とにかく、ふみちゃんは「ばるぼら」にしか見えなかったし、僕はそれに助けられたというか、引っ張られたというか、巻き込まれたというか。でも僕自身も最後まで、まな板の上で鯉のようにピチャピチャしてた感じもありますね(笑)。
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4 years ago
70年代の手塚治虫先生ご自身を投影されてる部分もあるだろうし、僕自身、共感というより、こういうことってあるのかな、と。特に美倉というキャラクターは、求められるものと自分のやりたいものの狭間で悩みますが、僕ぐらいの歳になって、やっと、これから先の道について思い悩むのはわかります。僕らがやってきたグループも、娯楽を意識してずっとやってきた中で、グループという特性上、このポジションでいなきゃいけない、演じなきゃいけないというものとの戦いだったんです。それを全く否定しているわけではないんですけど、それがあって出来上がった企業みたいなものがSMAPだったと思うし、いまの自分がいると思うんです。
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4 years ago
でも美倉の異常性欲という部分は、素直にわかるとは言えないですけど(笑)、「ばるぼら」みたいなミューズが現れて、僕を変えて欲しいという思いはゼロではないよね。
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4 years ago
稲垣 そうか、現代なら生まれえない物語なのかな。原作の舞台1973年は、僕が生まれた年なんですけど、時代の空気は70年代だけでなく、80年代でも90年台でも、いまよりずっと自由でしたよね。
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4 years ago
稲垣 携帯、ネットの干渉って大きいよね。おっしゃる通りで、カオスだったから見たくなければ見なくてもいいし、同調圧力みたいなものもないから同調しようがない。だから表現も自由だったと言われていますよね。
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4 years ago
――原作では、美倉が生きる70年代の世界はもっとマッチョでしたが、映画ではより現代に寄っていましたね。

稲垣 原作のマッチョ感はもともとの僕にはないものなので、その点、僕が演じたことで美倉がマイルドになったかもしれない。映画の美倉と「ばるぼら」は原作よりも対等。監督が「この映画はラブストーリーにしたい」と言ったのは、より現代的に描きたかったからかもしれないし、僕もそこは迷いがなかった。むしろいまの時代に合った「ばるぼら」になっていると思いますけどね。
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4 years ago
稲垣 僕も口で説明できない夢ばかり。目覚めるとニュアンスや感情や匂いとかしか覚えていない。ずっと同じ景色が繰り返されたり、登場するひとつひとつのピースは子どもの頃から変わらないから、少し怖いと思うけど、ワケのわからない夢を見なくなってしまうのも怖い。僕もふみちゃんと同じく、幼くして14歳でデビューして、ふみちゃんのいまの年齢の26歳ぐらいの頃、どうだったかなと考えながら聞いていたんだけれど。まあ、こんなにしっかりしてなかったことは確かですけど(笑)。
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4 years ago
稲垣 それはやらなきゃならないこと、覚えなきゃならないことが多すぎて、迷ってるヒマもなかった気がするね。どんどんグループが大きくなっていっちゃって。芸能の仕事が特技というか、怖くなかったんだよね。逆に、いまは冷静に、明日大丈夫かなとか、NG出したら恥ずかしいなとか、考えちゃうの。昔は本当にそんなこと考えなかった。無神経、鈍感力があったんだよね(笑)。
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4 years ago
稲垣吾郎・二階堂ふみインタビュー「狂気と幻想の『ばるぼら』の世界を生きる」 | Numero TOKYO 撮影の合間に、映画や音楽のお話しもたくさんさせてもらって、ドイルさんには、写真集に直筆のサインもいただいて。
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4 years ago
二階堂「私は最初、稲垣さんは偉大なグループにいた、雲の上の存在という意識があったんです。それは周囲が勝手にそう思ってるだけなのかもしれないですけど、現場には自然体の稲垣さんがいて。クランクアップ後の打ち上げは、新宿に古くからある大衆居酒屋で行われたんですけど、特に個室があるわけでもなく、普通のお座敷だったんです。そこで当たり前のように稲垣さんが寛いでらして、クリストファー・ドイルさんのマシンガントークをふむふむと聞いてらっしゃる姿を見て、とても素敵な方だな、と思いました」
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4 years ago
あと、二階堂さんと撮影の合間に雑談しているとき、ふとボーイズラブの役をおすすめされたんです。『私が企画するので、ぜひやりましょう』と。それまで緊張で張り詰めていたから、肩の力が抜けました」

二階堂「すみません。私が見たいんです、というお話をしました(笑)」
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4 years ago
稲垣「ひとつに限らず、映画や小説、音楽、いろんなものに触発されます。ワインもそのひとつです。1本に歴史や造り手などたくさんのことが詰まっています。あとは、花も。週に1回、自分で活けているんです。コロナの自粛期間中に、94年頃に使っていたフィルムカメラが出てきたんです。僕はロバート・メイプルソープが好きなんですけど、そのフィルムカメラを使って、花の写真を撮ることにハマっています。インスパイアというと大袈裟かもしれないけれど、そうやって自分の好きなものに囲まれて生きています」
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