昭和20年、深夜1時45分、エノラゲイがテニアン島を後にし、広島に向かった。総重量約5t、積載されたウラン総量50kg、破壊力はTNT火薬に換算して約15キロトン。コードネーム、リトルボーイを乗せて。39年、WW2が始まったほぼ同時に、ドイツは核爆弾の研究を始めようとしていた。それに危機感を覚えた、科学者がアメリカのルーズベルト大統領に手紙を投函する。イギリスへ亡命した科学者の進言がイギリスを経て、アメリカは原子爆弾の開発を決断する。アメリカ大統領ルーズベルトと、イギリスの首相チャーチルのたった二人の会談によって、原爆投下の最初の目標が日本と決まる。原爆が開発され、実際に広島に投下されるまでの間、多くの科学者、軍人が原爆の製造そのもの、また都市への使用を、思いとどまるよう提言したが、その努力は報われなかった。